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【椎葉博紀さん(林業)】なぜ、公務員を辞めて山に入ったのか 山を育てることで地域に魅力をつなぐ

2026 2/19
家づくりの担い手たち
2026年2月19日
中山紀文

日本三大急流のひとつである球磨川が流れる熊本県人吉市。この地で、地方公務員の職を捨て、山へと分け入ることを決断した椎葉博紀さん。椎葉さんは、合同会社木人舎を設立し、山の造林・保育といった「山を育てる」業務を請け負っている。椎葉さんは、なぜ、公務員から林業へと転身したのか―。

木人舎を立ち上げ、山を育てる事業を行う椎葉さん
木人舎を立ち上げ、山を育てる事業を行う椎葉さん
目次

今も残る山の記憶 「田舎に仕事はない」と都会へ

椎葉さんのお祖父さんは、熊本県の水上村で山の管理業務を行っていた。椎葉さんの両親が共働きだったこともあり、幼少期にはお祖父さんと一緒に山で過ごす時間も長かったそうだ。仕事に励むお祖父さんの傍らで、椎葉少年は山での遊びを存分に楽しみながら育っていく。

「当時の記憶では今ほど木が育っていなかったので、山がうっそうとしている感じはなく、見晴らしも悪くありませんでした。祖父の目の届く範囲で遊んでいたので、遊んでいて危険を感じこともありませんでした」。

そんな椎葉少年ではあったが、林業に就こうとは少しも考えていなかった。中学卒業と同時に親元を離れ、人吉市の高校へと進学する。そして、その後は福岡の大学へと進むことになる。

「当時は『田舎には仕事はないから、都会に行った方がいい』という雰囲気があり、私の両親もそれを願っているようでした」。

椎葉さんは1978年生まれ。バブル崩壊後の就職氷河期へと向かうなかで多感な時期を過す。椎葉さんの地元だけでなく、田舎で育った若者の多くは、「田舎には仕事はない」という雰囲気を感じながら、都会への憧れを強めていったのだろう。

人吉市役所への入庁 霞が関への出向で田舎の魅力を客観視する

福岡で充実の学生生活を過ごした椎葉さん。ただ、地元への思いが消えることはなかった。

「福岡のような都会に行けば、何かが見つかるだろうと漠然と思っていました。福岡での生活に不自由はなく、正直、このまま都市部で暮らすのもいいかなと思っていました。ただ、具体的なイメージが持てませんでした。生涯を通して、小さくても誰かの役に立ちたいと自問自答するうちに、『地元に戻ろうかな』という思いが芽生えてきました」。

大学卒業後は1年間の就職浪人を経て、水上村に近い人吉市役所に入庁する。ちなみに、椎葉さんのお父さんも地方公務員だったそうだ。

市役所では教育関係の部署をはじめ、様々な部局での仕事を経験した。転機が訪れたのは、入庁から10年ほど経った2011年。あの東日本大震災の直後のことだった。

「突然、内閣官房の地域活性化統合事務局(当時)への出向を命じられました。震災直後の4月のことで、計画停電などが続く東京へ行くことになったのです。国としても各省庁・地方自治体・民間企業が連携する形で地方創生を推進しようという時期で、様々な人材が集結しており、非常に刺激的な経験ができました」。

各方面から選ばれた猛者たちが集まり、日夜、予算や法律を巡って議論を交わす。そこには地方行政とは一味違う、ダイナミズムがあったという。

2年間の霞が関での経験は椎葉さんにとって大きな財産となり、一緒に仕事をした上司や仲間とは今でもつながりがあり、椎葉さんの活動を応援してくれている人も少なくない。

人吉市役所に戻ると、霞が関での経験を活かし、地方創生の担当部署で働くことになった。

「東京で仕事をしたことで、田舎を客観的に見ることができました。だからこそ、人吉には多くのポテンシャルがあり、それを再発掘して、磨いていくことが我々の役目だと考えるようになったのです」。

地方を活性化するために、“都会風”、または都会の人が好きそうな観光施設を次々と作り上げていく時代があった。しかし、当然ながら“〇○風”の賞味期限は短い。老朽化したハコモノだけが残されてしまった田舎も少なくない。

時代は変わり、田舎に残されたポテンシャルを引き出し、磨き上げていくことが地方創生の本流になってきた。そして、椎葉さんは、人吉の大きな魅力になり得る山へと戻っていくことになる。

木を伐った後の山は誰が守るのか

人吉・球磨地域は、森林率が8割に達する国内有数の林業地帯。球磨川流域では多くの素材生産業者が今でも事業を続けており、5つの原木市場も稼働している。森林率が高い地域は他にもあるが、周辺にこれだけの素材生産業者や原木市場が残っている地域は、それほど多くないだろう。

そのため、一見すると人吉・球磨流域の林業は活況を呈しているように映る。しかし、木の伐採・活用が進む一方で、深刻な問題が水面下では進行している。

「この地域の林業が非常に恵まれた状況にあり、地方創生という視点でも多くの価値をもたらす可能性があることは間違いありません。ただ、木を伐採するばかりで、再造林が進んでいないという実態があります。このままでは地域の治水機能などが損なわれる懸念があるだけでなく、脈々と受け継いできた森林資源をつなぐ輪が、我々の世代で途切れることさえ考えられます」。

なぜ、再造林が進まないのか。所有者の関心の低下、コストの問題、そして何より「担い手不足」が深刻化している。

「誰かがやらなければ、山は荒れていく一方です。地域活性化の仕事をしながら、『地元の資源を使おう』と旗を振ってきましたが、そのサイクルが途切れていることに気づいてしまった。だったら、自分がその『途切れた環』をつなぐ役割になろう。そう決心しました」。

45歳での決断であった。20年勤めた市役所を退職し、一念発起して「くまもと林業大学校」へ入学。1年の学びを経て、木人舎を立ち上げることになる。

間伐作業の風景。山を健全に育てていく上で非常に重要になる作業

森を育てる仕事に集まる仲間たち

木人舎の主な事業は、造林・保育の請負、山林管理委託など、いわゆる「山を育てる仕事」である。

現在の社員数は6名。椎葉さんと同じ40代をはじめ、20代、30代という若い世代が中心である。林業大学校の後輩や人づてに噂を聞きつけた若者たちが、自然と椎葉さんの元に集まってきた。

「今の若い世代は、我々の頃とは価値観が違います。『都会で稼ぐことが成功』とは思っていない。地元に根付き、自然の中で働きたいという若者が確実にいます。彼らは非常に真面目で、意欲的です」。

木人舎のメンバー。ドローンを活用して苗木や資材の運搬などを行っている

アナログな現場に、デジタルの光を

椎葉さんは今、現場に新しい風を吹き込もうとしている。その一つがデジタル化(DX)への取り組み。

再造林の現場は、急斜面を歩き、一本一本手作業で苗を植える過酷な世界。少しでも負担を減らすため、木人舎では大型ドローンを導入し、苗木や資材の運搬を行っている。

さらに椎葉さんが目指しているのが「植林情報のデジタル化」だ。

「誰が、いつ、どこに、何の苗を植えたのかという記録は管理されていません。しかし、この情報を適切に管理し、デジタル化することができれば、将来の育林作業などで役に立つはずです。『なぜそんな金にならないことを』と言われます(笑)が、労働人口が減っていくなかで、テクノロジーの力を借りて記録を残していくことは、次世代への責任ではないでしょうか。植えた木が育っていく履歴がしっかりしていれば、将来その木が伐採される時、付加価値としてカーボンクレジットを付与できるかもしれない。夢物語かもしれませんが、種は蒔いておきたいんです」。

将来、自動下刈り機やロボットが山に入る時代が来るかもしれない。その時、「どこに苗木があるか」という正確な座標データがあれば、苗木を傷つけずに作業ができるだろう。さらに言えば、「いつ、どこに、何を植えた」というデジタル情報が蓄積されていけば、より効率的な伐採計画や木材価値の最大化などにも貢献するはずだ。

循環する森、そして循環する人

独立して3年。椎葉さんが見据えるのは、単なる会社の成長ではない。地域の森林業そのものの存続だ。

「人吉・球磨のように、歴史があり、製材所があり、市場があるポテンシャルの高い地域は、意地でも産業として残さなければならない。そのためには、伐って終わりではなく、植えて育てるサイクルを回し続ける必要があります」。

現在、一般市民と山との距離を縮める活動にも力を入れている。植林体験やワークショップを通じて、自分たちの住む地域が豊かな森林資源に支えられていることを知ってもらうためだ。林業は木材生産だけでなく、水源涵養や土砂災害防止といった公益的機能も担っている。その価値を、社会全体で再認識する必要があると考えているからだ。

近隣の住民を対象にしたワークショップも開催している。写真は、明るくなった林内で道具箱を作るワークショップを開催しているところ

「うちの若いスタッフには、ずっとうちの会社にいてくれとは言っていません。僕が役所を20年で辞めたように、彼らもここで経験を積んで、独立したり、別の道へ進んだりしてもいい。結果として、この地域に『山を知る人間』が増えてくれれば、それが一番の財産になりますから」。

今回の取材の最中に椎葉さんの息子さんがやって来た。息子さんは「お父さんの会社で働くんだ」と最近口にするようになったという。

椎葉さんは、「まあ、強制はしませんけどね」と嬉しそう笑う。

今でも田舎は厳しい状況に直面している。しかし、椎葉さんの笑顔を見ながら、かつてのように「田舎には仕事はない」という考えを押し付けることとだけは辞めようと誓った。

伐っては植え、育てては伐る―。

その悠久のサイクルの中に、椎葉博紀という「つなぎ手」が加わったことで、人吉・球磨の山々は少しずつ、しかし確実に、次の時代への呼吸を始めているのかもしれない。

「この地域に『山を知る人間』が増えてくれれば、それが一番の財産になりますから」と語る椎葉さん

取材協力
合同会社 木人舎
ホームページ:https://kobitoya.jp/

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