人生の岐路で考えた本当にやりたかったこと
家づくり工房「kitote」を展開する神奈川県横浜市の中山建設。自然素材を用いながら、今では珍しくなった自社大工と家具職人による家づくりを実践している。その中山建設で家具職人として働くのが中尾太輔さん。全く違う業界から35歳で家具職人の道に飛び込んだ中尾さんは、どういう経緯と想いでこの道を志すことになったのか―。

職人あってこその家づくり
中山建設の中山周平社長は、「職人あってこその家づくり」という視点を大切にしている。大工や家具職人が施主とコミュニケーションをとりながら、まさに作り手の顔が見える家づくりを実践している。
自身も大工の経験がある中山社長は、「お客さんの顔が見えない仕事をするのが本当に辛かったですね。だからこそ、自分の会社では作り手の顔が見えるようにしたかった。作る側もお客さんの顔が分かっていると、絶対に手を抜けないものです。結果的に品質も高まっていく。そういう好循環を生み出すためにも、大工や家具職人を社員化することが重要だと考えています」と語る。
大工を社員として抱える工務店や建設会社が減っている現状を考えると、家具職人まで社員化しているというのは、かなり珍しいケースだろう。しかし、家具づくりを内製化しているからこそのメリットもある。
通常、造作家具などを施工する場合、どうしても現場合わせの作業が出てしまう。しかし、中山建設では、大工と家具職人が絶えずコミュニケーションを取りながら作業を進めており、現場合わせの作業はほとんど発生しない。現場合わせの作業をすることなく、ピタリと納まる家具になっており、完成した際には細部の納まりの美しさが際立つことになる。
30歳代になり人生に迷う お客さんとして中山建設と出会う
木と職人にこだわる中山建設で見習いの家具職人として奮闘しているのが、中尾太輔さん。35歳の時に保険会社から中山建設に入社したという異色の経歴の持ち主。
義兄の影響で高校生からアメリカンフットボールを始めた中尾さんは、大学でも選手として活躍し、卒業後はOA機器を販売する会社に営業職として入社した。大学では建築系の学部に所属していたが、「正直、部活中心の生活で、それほど建築の勉強はできていませんでした」という。
OA機器販売の仕事をして数年後には、保険会社に転職する。保険会社時代に今の奥さんと出会い、家族をもうけることになる。
「全く異なる業界への転職だったので初めは苦労しましたが、社内外で色々な人と出会うことができ、充実した日々を送ることができていました。ただ、父や義兄が立て続けに亡くなった時期があり、31歳頃から『本当に自分のやりたいことをやっているのかなぁ』と迷うようになってきました」。
その頃に自宅マンションのリノベーションも考え始めており、色々な工務店とコンタクトをとるなかで中山建設と出会う。
「自宅のリノベーションについては一旦保留することになったのですが、中山社長の話を聞いた時に、ものづくりへのこだわりなどに共感し、すごく魅かれる部分がありました。当時は客の立場だったのですが、『こういう仕事がしたいな』という気持ちが芽生え始めました」。
中尾さんは、中学生の頃から家づくりに憧れに似た興味があったそうだ。
「強く意識していたわけではありませんが、大学で建築関係の学部に進んだのも、その影響があったのかもしれませんね」。
結局、奥さんとも相談し、中尾さんは転職を決意する。中尾さんから「働かせて欲しい」と言われた中山社長は、「他の会社を見て、それでもうちで働きたいというなら話を聞くよ」と答えた。
そのアドバイスを受けた中尾さんは、他の会社でインターンとして働いたが、「やはり中山建設で」という思いを強め、再び中山建設の門を叩くことになる。
当時の中尾さんの年齢は35歳。一般的な考え方であれば、職人を目指すには遅すぎる。その点について中山社長は、「今の20歳代は様々な選択肢があり、『とりあえず』という気持ちで職人の道に入ってくるケースも少なくありません。ただ、それだと長続きはしない。人にもよると思いますが、中尾君のように色々と迷った挙句、30歳代で『どうしても』という気持ちで入ってきてくれた方が、腰を据えてやってくれるのではないでしょうか」と語る。
また、中尾さんを指導している中山建設の家具職人、五味健太さんによると、「職人になるための修行期間は、その人の取り組み姿勢や向き・不向きによっても変わります。35歳だから遅いとは、一概には言えません」という。

前職の経験を活かし 施主の声に耳を傾ける職人に
現在、中尾さんは五味さんの指導を受けながら、家具職人としての腕を磨いている最中。
「道具の種類や使い方から、木の特性の見極め方まで、学ぶことが沢山あります。大きさが違うノートを2冊用意して、小さい方は五味さんから教えていただいたものをその場ではしり書きする用として使っています。業務終了後にその内容を大きなノートに写していきます。この時に言われたことを復習するようにしています。こうすることで同じことを言われないようにし、学びのスピードを改善しようとしています」。

五味さんによると、「初めの3カ月は職業能力開発総合大学校でも使っている『木工工作法』という本を教科書にして座学を行っていました。道具の名前なども知らない状態で、実技を教えても分からないでしょうから、まずは基礎的な部分を座学で学んでもらうようにしたのです」という。
その五味さんに、「昔のイメージだと、職人の世界は『見て学べ』という感じだったのでは?」と聞いてみると、「そういうこともありましたが、見て理解できるスキルがある人なら、教える必要はないですよね(笑)。見ても分からない状態だから、誰かが教えてあげる必要があるんじゃないですかね」と、もっともな答えが返ってきた。作り手不足が深刻化する住宅業界だが、旧来型の教え方・育て方を再考する必要もありそうだ。

徐々に一人でできる作業も増えてきている中尾さんだが、どういう職人になりたいのだろうか。
「私は10代から職人の道を志したわけではありません。その意味では出遅れた感じがあるのかもしれませんが、逆に前職での経験を活かした職人を目指したいとも考えています。お客さまとコミュニケーションをとりながら、ご要望にそった家具を提供していく―。そういう職人になりたいですね」。
今回、中尾さんと話をする中で家族への想いを強く感じた。中尾さんは早くにお母さんを亡くし、お父さんも他界している。しかし、親戚などが集まる機会も多く、そういう場が子どもの頃から好きだったそうだ。ご自身も子供を持つようになり、「一番の優先事項は家族です」と語る。
住宅も、家具も「家族の風景」を紡ぎ出す重要な要素。「家族の風景」の一部と言ってもいいだろう。もしかしたら中尾さんは、「家族の風景」を作り出す仕事に就きたかったのかもしれない―。取材を通して、そう感じた。
「例えば、自分が作った家具がどのように使われるのか、メチャクチャ気になると思います。だからこそ使われるシーンに思いを馳せたものづくりができる職人になりたいですね」と語る中尾さん。「家族の風景」を作り出す職人を目指し、奮闘の日々が続く。

取材協力
株式会社中山建設
ホームページ:https://nakaken-nh.jp/

